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自己観察は、なぜ、「チューニング」に例えることができるのでしょうか・・・

2014/12/27 18:29
皆さま こんばんは。
IRMエキスパートガイドの山本です。

久しぶりに、近所に買い物に出ましたら、
しめ縄やお飾りが店頭を賑わしていました。

このひと時、
味わえる年の瀬気分が幸せです。


さて・・・

私たちが本気で自分の感情に向き合わざるを得ないのは、
たいてい、ネガティブな感情が生まれたときだと思います。

幸福な気分のときは、
ネガティブな感情は思い出せませんし、
わざわざ思い出そうともしないでしょうから。

自己観察を一言で表しますと、
「チューニングをすること」です。

チューニングと言えば、
私は真っ先に楽器のチューニングをイメージするのですが、
ここではラジオのチューニングを思い出してください。

で、チューニングが合っていないと、
ノイズしか聞こえてきませんよね。

でも、自分が聞きたい周波数にピタッと合うと、
驚くほど声や音が鮮明に聞こえてきます。

ネガティブな現象が起こったときに、
その現象がなかった前の状態に意識を向け、
自己観察で自分の意識をチューニングするということ、
波長を合わせるというのは、まさにこの部分です。

チューニングのポイントが見つかった時点で、
そこには絶対安心・絶対幸福という、
真逆の世界が拓けます。

IRMの自己観察とはまさに、
ネガティブな感情がなかった過去にさかのぼって、
なぜその感情が生まれたのかというふうに、
前の状態に意識を向けること。

なぜならば、現実は思考した結果だからなのです。


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「目に見えないこと」にも価値を置く

2014/12/20 17:12
皆さま こんにちは。

IRMエキスパートガイドの山本です。


今日は、12月IRMアカデミーの基調講演から、
目からウロコが落ちた ことについて、
お伝えしたいと思います。


私たちは、
例えば赤ちゃんが生まれてくるとか、
実際に目に見えている現象に、
重きを置きたくなる傾向があると思います。

つまり、死とか、ないもの、見えないものより、
生まれてくるとか、ある、見えることの方に、
価値を置いてしまうことが多いのでしょう。

でも、あらゆる「生まれてくること」に、
本当に価値を見出しているの?というと、
そうではないような気がします。

例えば新しい命がこの世に生み出されて来ることを
人々は祝福するけれど、
生まれることでは同じガン細胞や病気、
自分にとって不都合であることが起こった(生まれた)時には、
嫌なものとして、
価値を見出さないのだなという気がします。

どちらも、“生まれてくること”には
変わりはないのだけれど・・・

もっと分かりやすい例で言いますと、
排泄物も身体の外に生まれ出て、
目に入るようになると、汚いから
流してしまいましょうということになります。

かと言って、見えなければいいと、
腸の中に溜め込んだままで、
生まれなくても困ってしまいますよね。
 

私はIRMを学ぶ前は、
ネガティブな感情は外に出すものではない、
という価値観を持っていたため、
排泄物をお腹の中に溜め込んでいた状態でした。

なぜそのような価値観を持っていたかというと、
一つには、受けてきた教育や、
周囲から得た環境があります。

自分さえ我慢すれば、
ことはうまく収まるんだといった気持ちもあり、
一見聞こえが良いようですが、
波風を立てるのを恐れていただけなのでした。

だから、
なぜ自分がそのような現実を体験しているのかを考えていくと、
そうした現実を生み出してしまうような価値観を
持っていたことに気が付くことがあります。

だから、「生まれるということと同時に、
生まれる前の目に見えない存在に対しても
いかに価値を見いだせるか、ということが、
とても大切ですよ」という先生のご説明には、
本当に目からウロコが落ちました。


その辺りの因果関係についてご興味がありましたら、
次回Basic講座を覗いてみませんか?

そして今年最後になりますこのセミナー、
初公開情報がございます!!


第72回「運命☆好転!テク&トレIRM☆Basic講座」

日時:2014年12月23日(火・祝)13時半〜16時半
会場:ミューザ川崎シンフォニーホール会議室2
参加費:6,000円(税込) ※定員15名(予約制・先着順)
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山本blog経由とお書き添え頂きますと、
参加費が1000円引きとなりますので、
ぜひご利用下さいね。


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「傲慢さ」に思うこと

2014/12/13 19:53
皆さま こんばんは。
IRMエキスパートガイドの山本です。

寒くなってきましたが、
いかがお過ごしでしょうか。

この時期になりますと、
紅茶にポタポタと、
ウイスキーを垂らして飲むのが
楽しみの一つとなります。

身体も心も温まります^^


さて、今日は、
「傲慢」について綴っていきたいと
思います。

Wikipediaによりますと、
「傲慢」とは、
おごりたかぶって人を見くだすこと」と、
あります。

この解釈が一般的であると思いますが、
皆さまはこの言葉に、
どんな意味を感じておられるでしょうか。

言葉の持つ概念というのは
本当に獏たるもので、
その言葉が使われている背景やらシチュエーションによって、
いろいろな解釈が成り立つものだと思うのです。


と、いうことで、ここでは、
IRM的な観方で考えていきたいと
思います。

人が「傲慢」になる理由の一つに、
「分かった気になる」というお話が、
先日6日の、
IRMアカデミー基調講演でありました。



人は誰しも、
それぞれの傲慢さを持っていると
言えるかも知れません。

それはいわゆる、一般的な傲慢さの意味ではなく、
考え方のクセ、と言ってもいいものでしょうか。

私自身のことで言いますと、
シングルマザーである私が、
3人の子供たちを自力で養って来られたのは、
全部自分の力で出来たものと、
信じて疑わなかったことです。

本当は、いろいろな巡り合わせや、
安定した会社で働いていられることなど、
とんでもない周囲のお陰様で
ここまで辿り着いたのです。

が、IRMを学ぶ前の私は、
誰の力を借りることなく、
すべて自分の力で出来たのだという、
かなり傲慢な考えの持ち主でした。

さらには、私や子供たちの命を生かすために、
水や光を与え続けてくれている自然の恩恵にも
思い至ることができないという、
謙虚さに欠けていた人間でした。

こんなふうに、
自分一人の力で出来たという気になったり、
分かった気になると、
それ以上知ることをしなくなりますし、
進化がそこで止まってしまう可能性もあります。

宇宙は絶えず進化をしているので、
分かった気になったその時点で、
宇宙の真理・法則から外れてしまいます。

今にして思いますと、
一人でできたと思って傲慢になったのではなく、
元々そういう考えの傾向のタネが私にあって、
それは違うよと気付かせ、教えてくれるために、
これでもかと、これでもかと
いろいろ不都合なことが起こってきたんですね。

不都合なことが起こってこなければ、
私はずーっと傲慢なまま、
いろいろなお陰様にも気が付けない人になっていたでしょう。

そんな自分というものを、この現実が観せてくれるという、
実に分かりやすいシステムが働いているのですね。

ネガティブな感情を起こす現実を観ていくIRMの、
ここが醍醐味だと思います。


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知識について思うこと

2014/12/06 05:54

皆さま おはようございます。
IRMエキスパートガイドの山本です。


あっという間に12月になりました。
私自身は、まだ年の瀬という感覚はないのですが・・・・


さて今日は、最近つくづく感じていることを
書いてみようと思いました。

それは、知識を獲得イコール、知識を習得したと
勘違いしていることがいかに多いかということです。

私はいわゆる大企業というところで
長年会社員をしています。


一流大学出身、博士号を持った技術屋さんたちも沢山いますし、
難しい資格獲得が趣味のコレクターもいます。

本を沢山読んでいて、
ウンチクを傾けてくださる方もいて。

全員がそうではないのですが、
知識を得て満足しているような気がしてならないのです。

IRMでは、知識を単なる知識のままで終わらせない、
日常という場に活かしてこそなんぼやという考えがあります。

彼らの持っている知識やスキルの一部でも、
周囲の方々におすそ分けしてあげることができたらどうでしょうか。

例えばパソコンのスキルをボランティアで
子供たちに教えてあげるとか。

キッカケはほんの小さなことかも知れませんが、
それが自分の天職へと繋がる可能性だってあるかも知れません。

こういう事してくれる人がいるよって、
人脈が繋がるかも知れません。

せっかくの勉強の成果を自分だけに留めておくのは
本当にもったいなく思います。

自分の持っているものなんてちっぽけで、
人様のお役になんて立てるわけがない・・・・

かつての私はそう思っていました。

でも、そのちっぽけだと思っていたことで、
人様のお役に立てたときの喜びといったら!!

私の中に単なる知識としてあったものが、
知恵としてアウトプットできたのだと思います。


知識は自分のためにあるのではなく、
周囲に使うためにある。

そんなことを思う今日このごろです。

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華咲く幸のタネ噺 2014年12月のブログ記事/BIGLOBEウェブリブログ
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